「Mr. Big」Mr. Big [CDジャケット]
靴にシルクハットにステッキ。
たったこれだけなのだが、妙にかっこいい。
通常よりビッグサイズのように感じるのは、
「Mr. Big 」というタイトルのせいだろうか。
持ち主がいるとすれば、きっとアンドレ・ザ・ジャイアントのような
大男に違いないと想像してしまう。
だがよく見ると、これらはただ置いてあるだけではなく、
しっかりポーズを作っていることが分かる。
まるでこの靴自体に人格があり、靴が自ら帽子をかぶり、
ステッキを構えているようにも見える。
履き古されたボロボロの靴は、古いけど愛着があって手放せないもの、
つまり自らのルーツミュージックである、
古いブルースやロックへの敬愛の念を象徴しているように思う。
それがシルクハットでビシッと決めているのは、
「オレたちはこういう音楽をやっていくぜ」という
バンドの意思表明のようである。
「アンダーカレント」ビル・エヴァンズ&ジム・ホール [CDジャケット]
「Undercurrent」Bill Evans/Jim Hall
<Photo> Toni Fressel
■
とにかく「美しい」の一言です。
この女性、いったい浮いているのか、泳いでいるのか。
もしかして死んでる?
よく分からないが、とてもミステリアスである。
身体のラインが作る緩やかなリズム。
ほの暗い水の中で白い着衣がひときわ鮮やかだ。
またその白が水面に反射してできた輝きは、神々しさすら感じられる。
よく見れば、光に導かれながら天に召されていく図のようでもあります。
しかしジャケットと音楽がこれほど見事にマッチした作品が他にあるだろうか。
「Undercurrent(底流)」というタイトルが示すように、
湖底を静かに撫でていく水のように心地よい音楽は、
まさにジャケットのイメージそのまま。
音楽においては、あくまで音そのものが主体であり、
ジャケットは所詮添え物でしかないと思うのだが、
「Undercurrent」がこれほど響いてくるのは、
このジャケット抜きにはあり得ないんじゃないかというくらい
音楽に対してある種決定的な役割を果たしているような気がします。
僕は「Undercurrent」を聴くときは、なるべく外部の音をシャットアウトし、
魚になったつもりで聴くことにしています。
「ディッセンバーズ・チルドレン」ザ・ローリング・ストーンズ(1966) [CDジャケット]
<写真> Gerald Mankowitz
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モノクロの美しいジャケットである。
「あ? 何見てんだ、コラァ!」
キース・リチャーズの歪んだ口元からは、
今にもそんなセリフが聞こえてきそうだ。
不良たちに隠れているところを見つかってしまい、
因縁をつけられているといったところだろうか。
何か企んでいるところを立ち聞きしてしまったのかも知れない。
とまあ、いろいろと想像をかき立てられるような、
臨場感とストーリー性に溢れた写真だ。
まるで古いイタリア映画のワンシーンのようでもある。
特に構図が素晴らしく、隙間を覗き込むというアイディアによって
画面に奥行きと緊張感を与えている。
「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」という好きな曲が入っているとはいえ、
このジャケットでなかったならば、買ってなかったかも知れないなあ。
『ラバーソウル』ザ・ビートルズ(1965) [CDジャケット]
ジャケットの善し悪しが作品に与える影響は見過ごせない。
音楽が重要なのは勿論だけど、お気に入りのCDというのは得てして、
ジャケットも含めて好きだ、というケースが結構ある。
逆にジャケットさえよければもっと評価が上がるのに…
とジャケットで損をしていると思うことも。
「ジャケ買い」なる言葉もあるように、
ジャケットのデザインだけで買う人もいるということは、
それだけ売り上げにも大きく影響してくるということ。
ビートルズがこれだけ売れているのも、
ジャケットデザインの良さによるところが、
多分1割ぐらいあるんじゃないかと思う。
ビートルズは秀逸なジャケットが多いのだが、
この「ラバーソウル」は見れば見るほど味わい深くて好きだ。
斜めの構図はデビューアルバムでも用いているが、
こちらの方がよりアーティスティックであり、
文字も含め、デザインとして洗練されている。
歪んだ比率の写真、大胆に変型したフォントなどは
サイケデリックな時代を先取りしている。
なぜかジョンだけがカメラ目線なのもいい。
ちなみに、ここで取り上げてるのは洋盤のジャケット。
日本盤は文字が赤で、写真の色味もどぎつい感じで、
僕はあまり好きじゃありません。